2018.09.13
古着ブームの今、知っておくべき最強のビンテージデニムたち! Vol.2王道、リーバイスを語る最速な情報を伝授!
ビンテージはディテールだけで見るから難しくなる。とくに、約150年の歴史があるリーバイス501の、時代ごとのディテールなんてなかなか覚えてられない。そこでだ、アメリカの時代背景と501をすり合わせてみた。だって、商品は、トレンドや時代背景があって生まれるものだから。そうやって考えると、さまざまなタイプがあるリーバイス501も整理がつき、すんなり頭に入ってくる。結局、タイプ別っていうか、時代ごとにその時の理由があって、ディテールや生地、シルエットを仕様変更していくっていうのがわかる。賢い男は、こうして歴史と
原点にして頂点、501XXの原型は1873年に誕生!
501が誕生したのは、今から140年以上も前となる1873年(だといわれている)。アメリカはブラックフライデー恐慌(1869年)やシカゴ大火(1871年)、銀廃貨(1873年)などの一連の経済悪化要因が続いたこともあり、大不況の状態に入った。そんな状況下だから、一攫千金を求めてアメリカ西部に人々がどんどん押し寄せ、ゴールドラッシュの時代へと繋がる。そんな中でアメリカ西海岸に位置するサンフランシスコで生まれた501の原型。現在のモデルとは大きく異なり、ワンヒップポケットでベルトループレス、サスペンダーボタンやバックルバックといった完全なワークパンツとして誕生した。
こんな感じで当時のアメリカ人たちがはいていた
さあ、続けて6つの"501"でその先の流れを知ろう!
同じ"501"でも、ビンテージ界隈では呼び方が異なる。[ ]内の通称名を合わせて覚えておくとより通になる。
1.大震災をも乗り越えた501XX[ 通称:1922年モデル ]
1906年、リーバイス社のあるサンフランシスコを大地震が襲った。それに社屋やショールームは倒壊し、商品や生地などはすべて焼失してしまったという。そんな危機を、501をはじめとするワークパンツにより、なんとか切り抜けてきたリーバイス。この1922年モデルよりベルトループが追加された。
2.“デュードランチ”ブームで世界恐慌を突破した501XX[ 通称:1937年モデル ]
1929年に発生した株価大暴落により始まったとされる世界恐慌。そんな不況下に、ハリウッドが西部劇映画を量産していた社会背景から成功を収めたのが、デュードランチと呼ばれた観光牧場だった。そして、ハリウッドカウボーイがはいていた501を真似てはき、牧場へランチを持って観光に行くのがブームになった。その頃の貴重な1本。
3.戦争の物資統制で生まれた名作モデルs501XX[ 通称: 大戦モデル ]
1939年、全世界を巻き込んだ第二次世界大戦が勃発。アメリカでも物資統制という規制が課せられた。そしてリーバイスも軍需生産を最優先するため、簡素化を余儀なくされる。そこで生まれたのがこの大戦モデルと、後に呼ばれるものだ。股リベットやバックルバックの排除、アーキュエイトステッチがハンドペイントとなり、この時代でしか見られないディテールが、マニアを虜にしている。
4.戦後の兵士たちを介し、人気が全米へ広がる501XX[ 通称:1947年モデル ] 2/2PAGE いよいよ501がファッションへと昇華
1945年に終戦すると、東部出身の若い兵士は西部のPX(基地内の小売店)でリーバイスを購入し、故郷に持ち帰っていった。これによりリーバイスの人気が西部から全米へと広がった。と同時に、物資統制も解かれ、簡素化されていた501(通称:大戦モデル)は、革パッチやステッチによるアーキュエイトなどの各ディテールが復活する。
5.好景気の波により、労働者を中心に需要は拡大した501XX[ 通称: 1954年モデル ]
戦勝国となったアメリカは好景気に沸き、経済も活気にあふれていた。そして労働者を中心に501の需要も拡大する。(ちなみに、この戦中から続く501需要によりデニム生地が不足。そこで、この頃よりリーバイスはスラックス製造にも着手し始める)。1947年モデルでは片面のみだった赤タブが、このモデルでは両面になる。
6.反抗の象徴としてのパンツ、“ジーンズ”となった501XX[ 通称:紙パッチ・ギャラ入り ]
この時代はハリウッド映画も黄金期を迎え、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドといった新しいスターが誕生した。そして彼らが劇中でジーンズを着用すると、501は、それまでの労働者のワークウエアからティーンエイジャーの反抗のシンボルへと変わっていった。このモデルより革パッチから紙パッチへと仕様変更する。
それは1960年頃、僕らがイメージするアメカジが誕生した時代
こんなアイビー的な格好をする人が出てきた
ビンテージの終わりと現行品につながる6つのパンツ
屈強な男のためのデザインが、ワークパンツとしての立ち位置はゆるぎない中で、次第にファッションを意識していく。そこら辺も意識しながら見てみよう。
1.都市部の若者の支持によりカジュアル化を果たす501XX[ 通称:ギャラなし ]
1963年頃、リーバイスが東部へ本格進出し、ジーンズが都市部の若者によって支持された時代。501もワークウエアながらアイビースタイルに用いられるなど、カジュアルアイテムのひとつとなる︒この通称ギャラなしモデルは、パッチにあった“EveryGarment Guaranteed”の表記が廃止され、“Made in U.S.A.”が記された。
2.もっとも希少かもしれないコレクタブルな501[ 通称:ダブルネーム ]
501、ひいてはジーンズがファッション化を果たした1960年代。501ではさまざまなマイナーチェンジが行われている。中でも、XX表記が廃止された直後の1966年〜1967年頃に登場したのがダブルネームと呼ばれるこのモデルだ。パッチの品番表記の上に小さく〝501〞や〝501XX〞と記されているのが特徴。この時代から、501XXとは呼ばない。
3.やや細身にマイナーチェンジされた美麗な501[ 通称:ビッグE ]
前出したダブルネームモデルや、他にも“S”“A”“F”などのアルファベットがプリントされた通称、タイプモデルに続いて登場したのが、501のみが表記されたこのモデル。これがビンテージの証しともいえるビックEの最終モデルであり、シルエットはやや細身にマイナーチェンジされ、美しいラインに仕上げられている。(余談だが、この時代にはダブルネームやタイプモデルなど、タマ数は少ないのだが、さまざまなディテールのものが発見されている。これは株式公開を見据え、さまざまな工場で作られるようになったが、各工場で仕様の統一ができていなかったからと推測される。そんなアバウトさもアメリカらしくて魅了される)。
4.66が生まれた背景には株式公開が控えていた501[ 通称:66前期 ]
1973年には赤タブの表記がスモールeへと変更されはじめた。リーバイス社の株式が市場公開された同年頃には、完全に小文字の“Levis”へと統一されていった。この66前期モデルは、フラッシャーに記された©1966の文字が語源とされる。 最大の特徴はトップボタンの裏に刻印された“6”の文字。
5.このタイプあたりからまたテーパードされ、より細くなった501[ 通称:66後期 ]
66モデルでも1978年~1983年にかけての5年間に作られたのが66後期モデルである。66前期との違いはヒップポケット裏のステッチで、前期はシングル、後期はチェーンに変わった。色落ちも、前期のほうが美しい縦落ちが楽しめる。また、このモデルの頃からシルエットもテーパードされてやや細身になっている。(ちなみに、66前期と66後期は、同じシリーズのように思えるが、べつにそうではない。よって、色落ちも大きく異なる。というのは、1978年を境にインディゴの染め方が変わったため。それにより色落ちが変わるので、1978年以前に作られたものをビンテージと考える人は多い。となると、ビンテージは、大きくは66前期までということになる)。
6.生地の供給元会社の関係で赤ミミ付きは最後となる501[ 通称:赤ミミ ]
赤ミミを使用することがビンテージ501 の一般的なアイコンであり、その最終型がこちらの赤ミミモデルである。それまで29インチのデニム生地を使用していたが、1983年より61インチに変更されたため、このディテールが消滅。諸説あるが、生産が終了して完全に在庫がなくなったのは1986年頃とされている。
以上、リーバイス501の変遷を紐解いた。ビギナーは、この歴史を覚えておくと忘れにくい。んでもって、大人の男ならいつしかその情報が役に立つときがくる。第3回目は、いよいよディテールのお話しをしようと思う。多分、どうしてもマニアックな内容になる(汗)。それまでに、この歴史の流れを理解しといてほしい。どこよりもわかりやすいビンテージのお話し、乞うご期待!
撮影/青木和也 特別協力/藤原 裕(ベルベルジン)、栗原道彦(ミスタークリーン)