2019.06.01
スキット鎌本さんに聞いた、 スニーカーブームの過去と現在。
グローバルでブームが衰えないスニーカーシーン。新たな歴史を刻むプロダクトや事象が立て続けに生まれている今だからこそ、一度立ち止まって、俯瞰で見つめてみるとおもしろい。そこで、'90年代半ばにこの世界に飛び込み、20年以上にわたってシーンを間近で見続けてきた人気スニーカーショップ「スキット」の代表・鎌本さんに、スニーカーシーンのこれまでの歩みと、これからの展望を聞いてみた。
~ブームはどこへ向かうのか~
(中央にいるのはスキット代表 鎌本勝茂さん。全国に4店舗を構える「スキット」の代表。靴好きはもちろん、有名人や海外の人もこのお店にめがけてくる。幅広いラインナップで、ビギナーから玄人まで、各々の探していたものが見つかるはず)。
1.まずはコラボの歴史をおさらいしてみよう
「コラボが今や当たり前の時代。でも、こうなるとは20世紀には考えられなかったことなんです。日本で初めてとなる別注は、’96〜’97年頃、ナイキジャパンが本国に別注したコルテッツの復刻です。ちょうどアメリカではシューズショップ・フットロッカーが別注モデルを出していた時季になります。その頃、とある雑誌のインタビューで『日本でもフットロッカーのような別注はありえるか? 』という質問があり、ナイキジャパンの方は『今は100%ありえない』と答えていたんですよね。そんな中、ミタスニーカーズの国井さんが’99〜’00年頃に直談判してコラボをスタートします。最初は上野限定で販売した“エア フットスケープ”だったかな。同時にニューバランスともコラボしつつ、このあたりをきっかけにアトモスなどの別注も登場して、ショップ別注やコラボレーションが世界的に当たり前の時代に突入していったんですね。’04年頃には、アディダスが限られたショップのみとのコラボや販売を展開する、コンソーシアムというラインを作ったりしています。その後、’00年代半ばからビームスやユナイテッド アローズなどのセレクトショップ別注が増え始めるんです。それまでセレクトショップの別注といえば、ヴァンズやコンバースくらいだったものが、リーボックの“ポンプフューリー”をはじめ、ナイキ、アディダスなどにも別注するようになりました。一方、ブランドコラボは、ここ最近ようやく定着してきた感じです。シュプリームやステューシーは別格で、’00年頃から積極的にやっていますが、一般的になったのはごく最近。逆に、ここ3〜4年はハイブランドのコラボの方が目立ちますよね。世界的に話題にあがったのは、やはりヴァージル・アブローが手がけるオフホワイトでしょう。ちなみに、ショップ別注モデルはここ最近再び勢いが出てきていて、アトモスのものは定価の3〜4倍の価値がついていたりします。エレファント柄など奇抜なデザインは海外でウケて、国内でも逆輸入的に人気が再燃しました。生産数も現在では1万足を超えているという噂です」。
時代を象徴する3つのコラボシューズ
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目まぐるしく変化するスニーカーシーン
日本で初めてのプレミアムスニーカーといえば?
第一次古着ブームで人気を博し、日本初のプレミアムスニーカーとなった〝ナイキ ダンク ハイ〞。(写真は’98年に待望の復刻を果たした初期復刻モデルのデッドストック。オリジナルに忠実なシルエットとカレッジカラーは、20年たった今も色褪せない。
2.さて続いては、プレミアムスニーカーの変遷を知ろう。
「続いては、定価以上の値段が付くプレミアムスニーカーについて整理してみましょう。プレミアムスニーカーの元祖、といえば、ナイキの“ダンク”です。第一次古着ブームがおこった’91〜’92年頃、’85年に発売された“ダンク”が3万円くらいで売られていました。当時は“プレミアム”とは呼ばれていませんでしたが、定価以上の価値がついた初めてのモデルです。その後、“エア マックス 95”でプレミアムスニーカーという文化が生まれます。その頃、僕は高校生で、スニーカーショップでバイトしていたんですが、定価1万5000円の“95”が中古で15万円、新品で24万円くらいになっていました。高いところだと60万円の値をつけているところも。当時は空前のハイテクブームで、ナイキ以外にもリーボックの“ポンプフューリー”なんかが爆発的にヒットし、ニューバランスの“576”もイングランドメイドのものなどが売れていました。そして、そのハイテクブームが終わった’99〜’00年頃、裏原ブームがスタートします。当時のインフルエンサーは藤原ヒロシさん。象徴的なモデルは、“エアズーム ヘイブン”や“エア プレスト”、“エア クキニ”あたりですね。この頃は、“エア ジョーダン”が不人気で、アウトレットで投げ売りされている時代でもありました。アメリカでは“エア ジョーダン 1”がなんと7000円くらいだったときも。そして、そんな裏原ブームが去った’02年には、長年のハイテク人気の反動でローテクブームが来ます。中でも飛び抜けて売れたのが“エア フォース1”。当時は高校生も制服に合わせて履いていましたね。相場は高いもので約6万〜7万円。きっかけは、雑誌で影響力のあったショップ店員たちが履いていたからです。そして、’04〜’05年頃、長く日の目を見ていなかった“エア ジョーダン”がじわじわと価格上昇します。ちょうどこのお店、スキットをスタートした頃なんですが、外国人が“エア ジョーダン”を買い漁っていったのをよく覚えています。このトレンドは海外のほうが早くて、アメリカだけでなく、ヨーロッパからも来ていました。ちなみに、その頃来ていた外国人には、ニューヨークのフライトクラブやロンドンのクルックドタンの創始者などもいました。そしてその後の’07年頃から、スニーカー冬の時代がやってきます。当時ヒットしていたスニーカーは・・・・・・、何もないですね(笑)。そんな中、メーカーの復刻ラッシュが始まります。代表的なのはビンテージ加工を施した、ナイキの“ダンク”やランニングシューズ。メーカーも焦ったんでしょうね、これまであまりなかった過去の名作の復刻が次々と現れました。リイシューの文化ができたのは、きっとこの売れない時代があったからこそだと思います。そんな冬の時代は’11年頃まで続きました。そして、ロンドンオリンピックが開催された’12年からは僕の中では’90年代に起こったスニーカーブームの再来。“エア ジョーダン6”が1万6000円の定価で出た’10年頃は、2カ月後には1万円に下がっていましたが、翌年には発売翌日に2万5000円に上がっているような状況になったんです。もちろん、’96年頃のハイテクブームのときとは違ってプラス1万円くらいのプレ値で推移するのが普通でした。そんな中、カニエ・ウェストがナイキから“エア イージー”をリリースしたり、ビッグバンのGドラゴンが細身のパンツに“エア モア アップテンポ”を合わせたスタイルが流行ったりと、新たなトレンドが生まれています。ここでようやく一部のモデルに昔のようなプレ値がつくようになりました。“エア イージー”は一時700万円の値がついたことも。とはいえ、日本人やアメリカ人はその値段では買っていませんでしたね。莫大なプレ値を出したのは、ほとんどが中国人です。そして、その傾向は現在まで続いているんですが、特筆すべきはプレ値の概念の変化。その理由は、まずスニーカーヘッズが世代交代して、プレ値を出すのが当たり前ではなくなったこと。そして、メーカーが販売店舗を減らして自前のウェブサイトで売る方向にシフトすることで、地方の人たちにも定価で買えるチャンスが生まれたことです。中には、先ほどの“イージー”などのようにズバ抜けて高値で売れる特定のモデルもありますが、基本的には異常な高騰はなく、だからこそ、いい意味でブームが続いているといえるのが今回のブームの特徴でもあります」。
歴史を刻む6つのプレミアムスニーカー
今日のスニーカーと、その未来について話したいことはまだまだある。一度で語り切れなかったため、続きは追って!
※記事は2018年9月13日発売のFINEBOYS別冊靴voi.11からの引用になります。
●スキット吉祥寺
TEL:0422・47・6671
www.k-skit.com
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1階
営業時間/11:00~20:00(不定休)
●文/山下晧平 撮影/道中貴弘